親として。。 | 新米ママのあたふた奮闘記~育児編&旦那編~

親として。。

結良ママです。

結良 生後8ヶ月と20日目。

台風接近のもよう雷


母の誕生日を目前にして、ふと想った事を聞いて欲しくて書いてみます。



学生時代、私はいわゆる優等生でした。

学級委員や、生徒会の役員なんかに選ばれる子でした。

でも、本当は、いい子の自分を作り上げる事が上手かっただけです。

どうすれば、親や、先生や、友人や、回りの大人たちが喜ぶかを知っていただけです。

どうすれば、一人ぼっちにならないかを知ってただけです。

本当は、いっぱい悪い子でした。

逃げるのも、ごまかすのも、うそ泣きも大の得意でした。

いつしか、世渡り上手になっていました。


私とは正反対に、妹は堂々と悪いこともいいこともする子です。

悪さの後の尻拭いはいつも両親でした。

必死でかばい、頭を下げていました。

でも、両親は、妹が手に負えなくなったとき、いつも私を頼りました。

そして、妹も、両親が頼みを聞いてくれないとき、いつも私を頼りました。

妹が悪さをして親が担任に呼ばれたとき、両親は初めて行くことを拒みました。

今から考えると、とてもつらかったと想います。

予想外で困った妹は、遠くに住んでいた私を頼り、なぜか私が保護者代わりとして担任に会いに行きました。

いい姉を演じるのも得意な私は、先生に頭を下げることも簡単なことでした。

そうやって、困難を他力で乗り越え、守られて生きてきた妹は、育児という壁に始めてぶつかり、病気になりました。

両親は、自分を責めていました。

本当に妹のためを想うなら、放り出せばよかった。と。


でもね、私は言いました。

パパ、ママ、あの子は不器用なだけやで。。素直すぎるだけや。

甘えも、わがままも、本当の自分を見せてくれてるってことやから、きっと良くなるよ。


その言葉の裏には、

「私を見て」という気持ちがありました。

素直に自分を出せない子もいるんだよ。

私の中のホントの私を知って欲しい。

本当は気づいてるのなら、そこから逃げないで見たくないことも掘り返して認めて欲しい。と。


子供を授かったとき、こんな私のまま親になりたくなくないと想いました。

そして、私の結婚式の時、両親への手紙に書きました。

両親は泣いていました。

少しだけ、親になる自信がつきました。

でも、まだ、全部見せ切れてないのが本音です。


私の旦那様も、全てを見せられない人です。

彼の両親も、私の両親と同じようにいっぱい大変だったと思います。

今でも、世話をやかせてしまってるくらいです。


現在8ヶ月の娘は、どんな人生を歩んでいくのかな。

もちろん、私の影響をたくさんうけるはず。

娘が感じていることを、同じように共感してあげられるだろうか。

私みたいに、全てを表現できなくて泣いたりしてしまうのかな。

「育児」は教科書通りにいくわけがない。

だって、同じ子は世の中一人もいないから。

でも、私の子は世の中に一人だけ。


娘にとって両手いっぱい開けた母になりたいと想っています。

それが、私の、娘への誓いであり、夢です。