母の器
結良ママです。
結良 生後8ヶ月と18日目。
原爆記念日&おじいちゃまの誕生日90歳
大好きなお友達から長いメールが届いた。
彼女は今ロサンゼルスに居る。
どうやら、ダーリンと色々あったらしい。
きっと、今頃つらくて眠れなくて一人で泣いてるよ。
ふっとそんな光景が目に浮かんで、泣けてきた。
すぐに飛んで行ってあげられないよ。
私は、人を救ってあげられる力を持っていない。
微力だ。。。。
信じていた人に裏切られるという経験をした人はたくさん居ると想う。
私は信じてたのに!!と想うと相手を攻めたくなる。
人は誰でも、見返りを求めてしまう。
特に、たくさんの想いや、お金を与えたら、ハイリターンを期待するだろう。
そして、予想外な結果だと、相手を攻めたくなる。
そんなもんだ。。。
でも、相手が自分の子だったらどうだろう。
注いだ愛やお金をそれ以上にして返して欲しいと想うものだろうか。
赤ちゃんにおっぱいをあげながら換算してる母親はいないはず。
「女」と「母」は同時に果たせない。
子を授かった今、「母」としての役割を与えられたということは、「与える愛」を持てる器になったということなんだなあ。
「女」はしばらく休業するけど、無償で、与えて育てることに幸福を感じることが出来るようになったということだ。
そういえば、今まで母から一度も「育ててやった」という言葉を聞いたことは無い。
旦那様の実家に帰っても、いつもママは良くしてくれる。
いっぱいの想いも、物も、言葉も与えてくれる。
実際、私が出産するときも、頑張らせてくれたのは旦那様のママだった。
「母親」の器ってでかいなあ。
私はまだ子供茶碗くらいかな(笑)
いつか、娘にとって海くらい大きい器になれるだろうか。なりたいなあ。
汚れた水が入ってきても、ビクともしないでかい海になりたいなあ。
子供茶碗の今の私は、まだちょっとの汚水でビクビクする。
浄水にも時間がかかる。
でも、娘を見てるとがんばれそうな気がする。
この子は私が守ると誓ったから。
ロスのお友達を想って寝ることにします。