新米ママのあたふた奮闘記~育児編&旦那編~ -26ページ目

フラッシュを浴びた日

式挙げて参りました。

満喫いたしました。


人前でいちゃついても許される一生に多分一度の数時間を。

生ハムメロンを、

皆様の祝福を、

浴びたことのない量のフラッシュを、、、


皆様、ありがとう。

おいら、泣いちまったよ。。。

最高だよ。おまいら、、


明日から、昨日の「チヤホヤ具合」を燃料に、2週間はガス欠なしで行けそうです。


ご心配をおかけしましたが、

出過ぎた腹も、無事にドレスにおさまり、

お父ちゃんと歩いた念願のバージンロード。

「アベマリア」の生歌に、さぶイボ(鳥肌)立てつつ、

さらに、お父ちゃんの緊張の震えも伝染して

なんだか、ジーンときたのでした。


だんなさまが泣いてはりました。

お父ちゃんも、お母ちゃんも。

会場みんなの涙腺を弱くした私の「手紙」。


「ディズニーマジック」

(ディズニーランド帰りの人が、満員電車でもミッキーの耳を着けている現象)のように、

「両親への手紙マジック」

は最強ですよ。


いやいや、

ほんまよかったんちゃう?!


いつもこのブログを読んで下さってる方からも、

電報なんぞいただき、

もったいのうございます。

たくさんの方々から、祝福のメールもいただき、

有難き、幸せに存じます。


わたくし、今後も、

体重管理と、

お客様へのご奉仕と、

旦那様への愛情に

一切の手を抜かず、臨月までつっぱしる事を誓います。




それからね、

えっとね、

旦那様が私たちのラブラブ写真アップしていいって!!


キャー、恥ずかしいわん><


>>>>>>。。>。。。。>>>>>>。。




・・・今充電中でした。ざんねーん!!

なので、

また後で。。。


以上、報告&ノロケでした。

人妻店長より。


ドレスが!!!

はじめに言わせてくださいまし。。。


「私と愛するダーリンは出来ちゃった婚ではないのです!」


・・・。


突然失礼いたしました。

世間の出来ちゃった婚のご夫婦の皆様のことを非難しているわけでは決してございません。

ただ、

ワタクシ、実家の母との13年前にある約束をいたしまして、、、


「結婚前に子供を作ったら、お父さんとお母さんは離婚する!!」

・・・・?

・・・???

というものでした。

母は、なぜこんなことを言ったのでしょうか?

なぜ、両親が離婚するという発想になったのか??


まあ、いいや。

約束守ったし。


ところで、、なんですけど。

私、今週末やっと結婚式あげることになりまして。。

いやいや、ありがとうございます。(ペコり連発)

約半年前の入籍時は、式はいいやと思っておりましたが、


そこは、

やはり、

日本男児として、、?

一家の主として、

将来有望なビジネスパーソンとして、、??


私の旦那様を立てるべく、決行を決意いたした次第でございます。


が、

しかし、


式まで1週間を切った今、

ピンチであります;・gk94bdf345!!!!1


かわいい私のベイビーの成長が著しく、

お腹がぱつんぱつんなんですううう!!!


痩せていた時代を引きずり、

「マタニティーウエディングドレス7号

にこだわった私がおバカでした。。。


まじで、入らへんと思う。。

変更しに行ってる暇ないし、、、

お店空けられないし。。。


式の間、数時間だけ、赤ちゃんに細長~くなっててもらうか、、

背中のジッパー見せないようにひたすら蟹歩き!?

マジで、、どうなんよ、わたし!!


「生ハムメロン」をたらふく食べたいがために、「ビュッフェ」にしたのにい~!!




とりあえず、結果は来週更新いたします。

がんばれ、わたし。。。


とうもろこしとハンカチ+笑顔

昨晩、閉店後、

3.4ヶ月ぶりにご予約を入れていただいたご家族を貸切でご案内するため、私は一人、バタバタしていた。

アルバイトさんもあがっていただき、私一人でお迎えする少し特別なご家族。

大好きな大好きな奥様です。


先日、お嬢様から久しぶりのメールを頂き、奥様の退院を知りました。

ご自分が重い病気だとわかっていながら、心配されるご家族を逆に励ますくらいの明るく元気な奥様です。

私のひそかな憧れの女性です。


手術はもう出来ないと言われたそうです。

入院前、毎日のようにご家族で酵素温浴に通われました。

身体を温めることが大病に勝つ方法だとご存知だったのでしょう。。。

毎日のように、楽しいお話と、ご家族の愛情をおすそ分けいただきました。


お久しぶりのご来店、

立派なとうもろこしとハンカチをいただきました。

私は幸せです。

助けて差し上げたい気持ちとは裏腹に、自分の微力さを感じ、

それでも、こんな私に笑顔を下さる奥様。

私は幸せです。


ご家族の愛情も、奥様の笑顔も、手渡されたとうもろこしも、ハンカチも、あったかいです。


化学薬品で失われた髪の毛や、少し痩せられたご様子は心配だけど、

奥様の存在に幸せを感じる人がたくさんいる。


私は、何人ものありがたいお客様の中でも1番に、奥様に、「妊娠」を伝えました。

強い気持ちをいっぱいいただいたから。


大好きな奥様へ、

これからも勝手に想わせてくださいませ。

私も、いつか、何かを差し上げることができますように。。。



ガングリオン

「ガングリオン」


・・・。

・・・?


なんとか戦士~とか思わずつけたくなるようなこの言葉。。。


皆様ご存知?


持ってる方いらっしゃいます?

私は持ってますよ。

めちゃ、でかいの!!

うらやましいでしょ****(?)


最近私の「ガングリ」ちゃんがまた主張し始めてまして。

人様にお見せするのは、、ちょっと、、、、

もったいぶらなきゃいけないような場所にいるので。。。


えっ?!


「ガングリオン」が主張?

もったいぶる場所にいる??


「ガングリオン」って???


なに~~~~~!!!!

(文字を大きくしたいけどどうやったら大きくなるの?教えてください。)

「説明しよう。」(口調変えて)


「ガングリオン」とはいわゆる脂肪腫であり、ほおっておくとどんどん成長する場合もある。



妊婦前よりかわいがってた「ガングリ」ちゃんが、

最近、色を変え始め、

よりいっそう大きく硬く、、、(キャーはずかしい**:)


しかも、おしりに。。。


あのお、、

右側のおしりの。。。


ううん、

おしりというか太腿の付け根より、おしり側??


はい!

すいません。


「私のおしりにでかいおできがあるんです!!」

「妊娠して体重増えて、座ってると身体の重さでかなり痛いんです!」

「いつも足組んで、右ケツあげてるんです!!」

「・・・・・。」


図説

(人様には醜すぎてお見せできません。図説で失礼いたします。)

はあはあ、、、、。


大変失礼いたしました。

正直に申し上げました。

大変お恥ずかしいお話をいたしまして、相すみません。


どなたか、この醜いワタクシめの「ガングリ」(ただのおでき)と素敵に分かれる方法をご存知でしたら、お教え下さいませ。

でも、痛いのやだし、

でも、なんか最近黒いし、、


早くとらなきゃ~!!!








想い

久しぶりにPCに向かっている。


先日、半日店をスタッフさんに任せてみた。


今まで、心配でほおっておけなかったのですが、

それって私の自意識過剰な考え方なのかもしれないと思いまして、、、。


お客様に迷惑をかけないよういつもフォローしていたら、スタッフさんの能力を伸ばしてあげられないですもんね。


確かに、心配だし、パニくったりもしてしまうんだろうけど、

今まで自分のエゴで仕事をしていたような気がしてきて、、、。


自分に言い聞かせてみた。

「お前は何様?!」


・・・。


いつもみんなに助けられていることを忘れないでいようと、改めて誓いました。


店を任せてみたその日の閉店後。

とてもしっかりしたスタッフの口調に、私は励まされました。


もっと広く、大きな、円い人になりたいと思いました。


これからも、私の大事なスタッフさんや、いつも支えて下さってる方々を想い、

一日一日を過ごして行きたいと思っています。


お客様には本当に感謝いたします。

私の背骨を「ピンッ」とさせてくれるのは、お客様のお力です。


今後もどうぞよろしくお願いいたします。



仮面さん鎧さん

昔、精神的不安定だった頃、

毎日「マニキュア」の色を変えていた。


当時は今みたいに「ネイル」というものが流行ってなかったのに、なぜこだわっていたのか。。。

それは私の「鎧」(よろい)だった。


人に嫌われたくない、ただの小心者にもかかわらず、

なぜか「強い子、変わった子」と思われたくて

手には派手なマニキュア、顔は心に逆らった表情の「仮面」をつけていた。


それがいつ頃から外せたのか良くは覚えてない。

ただ、行動してみただけ。


先日、うちのスタッフさんに言われた。

「何でA様(当店のお客様)とあんなにしゃべれるんですか?」


A様は少しキツイ感じの、あまり目もあわせてくれないような寡黙な方です。

スタッフは、「今までで一番苦手なタイプ」と言ってました。。。


「何で?!」って言われてもなア・・・

好きだからかなあ。。。興味あるからか?


みんなに愛想よくして下さる方は「開いてる」ってことでしょ?

愛想が苦手っぽい方は「閉じてる」から、こっちも構えて「閉じてる」と絶対うまくいかないですよね。

それこそ「仮面さん」と「鎧さん」で。


私は、出来るだけ自分を下げて、「開く」ように心がけてます。

自虐ネタや、たまには、くだけた話し方も相手にとっては「開く」きっかけになってもらえるかも。。。と考えてます。


ただ、どうしても昔の名残で、仮面かぶる時もあります。

今日は少しそんな感じで、、、

お客様に申し訳なく思いました。

忙しいのを言い訳にはできませんからねえ。。。


最近お腹で動き始めた赤ちゃんが歩き始めたら、

わたしは大きく両手を広げて、

名前を呼んでやりたいと思います。

子供に仮面も鎧もいらないでしょ。

全身全霊めいいっぱい「開いて」、子供が走って胸に飛び込んでくるのを想像してます。

そんな、「開いた」子になって欲しいなあと思う今日この頃。。。


今日の自分があんまり良くなかった気がして、

こんな文章になってしまいましたが、、、


みなさんは鎧つけてませんか?




Fカップ

19歳の頃、

京都山科の駅前で怪しいおっちゃんに声をかけられた。


真夏の暑い日、

黄色のキャミソール姿の私。


おっちゃんの手には1枚の名刺。

「ヤングマガジン・・・・・」の文字。


田舎育ちの私でも、男兄弟いない私でも

いわゆるコレって「ヤンマガ」ってやつでしょ!?

知ってるよ。

っで、何!?


おっちゃんは丁寧に私に説明をしていた。

でも、私は3分後に迫ってる約束時間が気になりすぎて名刺だけもらって立ち去った。


友達に言われた一言。

「あんた、おっぱいデカイから、からかわれてんのんちゃう?」


・・・そうやんなああ。。


当時、私は幼い顔に似合わないFカップ。

しかも、補正下着にはまってたから、妙に強調しまくり!!

結構抵抗はあったけど、崇拝してた下着屋さんのキレイなお姉さまに言われるがまま、、、

「胸は高さが命」ということで、引力に逆らいまくっておりました。


「ヤンマガ」名刺はそのままゴミ箱へ。

デカ乳のせいでからかわれた。。。

香港とか売り飛ばされるとこやったかもしれへん。。。

コワイ怖い。。。


その頃から私のコンプレックスになった「Fカップ」は、

カップを下げた補正ブラによって無理やり小さくされようと、

小さすぎるカップにねじりこめられる毎日が始まったのです。


半年もたたない頃からでしょうか?!

私は、かなりのストレスに襲われることになり、

毎日、2時間睡眠、一日一食(カップの力うどん)、タバコ1.5箱の生活。。。


気が付いたときには、「栄養失調」で「ブドウ糖」を点滴される羽目に。


もちろん、私の嫌いなFカップは、見る見るうちにしおれ、

現在、妊娠してお目にかかるまでのおよそ10年間は、無難な「C」


ガリガリに痩せてたから、昔の栄光「F]を語っても信用してもらえなかったけどね。。


でも、証拠はおっぱいに残された「肉割れ」と、物持ち良くて今役に立ってる昔の栄光「F」のブラ。


一番「旬」な20代初~中旬時代の彼達。

残念でしたよね。。。


今は、無事、パンパンに張ったお母ちゃんらしい「Fカップ」です!


しかし、うちのお客様に言わせると、

授乳後はすぐ、引力の強力なパワーに素直に従うのはまちがいない!!!って。


そういえば、巨乳家計の長、ばあちゃんは、垂れ下がったおっぱいを「フェレット」みたいにして(マギー慎司がやる「ラッキーちゃん」みたいにして)笑わせてくれてました。。。


ってことは、

やっぱり「F」なのは今のうち!?

筋トレしても無理?


そうやんなあ。。。


昔は嫌いだった「F」が、今はなんだかいとおしいのです。


・・・谷間の「あせも」も今のうちかあ。。。


妹との闘い(24歳の私)

当時、妹は「摂食障害」というやつでした。


私が彼女より数年前に体験した苦しい病気です。


彼女は「拒食」でした。

原因は今だ不明です。


ただ、彼女は「完璧主義」の「わがまま」な子でした。

両親の愛情をたっぷり受け、何不自由も無く育てられました。


私は、両親の彼女に対する態度が大嫌いでした。

車も、家賃も払ってあげてましたから。


わたしのヒガミですけどね。


実家の家業が傾き、従業員さんに退職金を払えるうちに辞めていただくことになり、

当時、実家から離れていた私は呼び戻されました。


8 年ぶりに家族と同居することに戸惑いました。

しかも、神経質で拒食症の妹と暮らすことにかなりの不安感がありました。


妹には息子がいます。

当時、彼への愛情は無いと言っていました。

30キロを下回る体重にもかかわらず、プライドだけで、フラフラしながら仕事をしていました。

両親は困惑し、悩み、苦しみ、

宗教とか、墓参りとかにこだわり始め、

私をたよってばかりでした。


結局、私は逃げました。

約束だった1年家業を手伝うという期限を終え、一人でまた遠くの街へ。


後悔しました。

夢にまで妹が出てきました。

夜中だろうが、昼間だろうが、妹は電話をかけてきました。

親も同じです。


狂ってる、、、と思いました。


どうにか助けたいのに、自分の微力さに腹が立ち、

一人、家族の苦しみから逃げている私が嫌いでした。


自分が同じ病気を味わっていたから、余計に身にしみて苦しさはわかっていました。

でも、なかなか助けてあげられませんでした。


現在、妹は入退院を繰り返した結果、

3歳の息子と旦那さんと暮らしています。

体重も36キロまで増えたそうです。


来月の私の結婚式で、キレイな洋服を着ることが楽しみで仕方がないそうです。


正直、私は、妹が病気じゃなかったら、結婚式をしなかったと思います。

妹が、頑張れるきっかけをつくってやりたかった。

普通のサイズの洋服が着られるようになるまで頑張る目標です。


久しぶりに会う妹を「よく頑張ったね」って抱きしめてやりたいです。

それから、「ごめんね」って。


私達を生かしてくれている両親に、感謝。。


イチゴ鼻

いつも通りの就寝時。

旦那様は早く私を寝かしつけようとご機嫌をとっていた。

(あんまり男前ではないけど)生涯のパートナーの顔を見ながら少し、うとうと。。。

~旦那様が私の顔を見てる。。かわいいなあ。。とか思ってんのかな。キャー**~(想像)


そこへいきなり、一言。

「鼻がイチゴみたいになってるで。」


突然の指摘に大ショック!!

妊婦はお肌が荒れやすいのです!

でも、そんなことは言い訳に過ぎず、、、、、

私としたことが、、、、、!!!!


「お肌のお手入れをサボることは、トイレの後拭かないで出るのと同じ!!」

(自論)


うちの旦那様は、女性の身だしなみ&外見にうるさいのです。

ついこの間も

「あの子、脇毛処理してねえ。げんめつ~」

って、今時の若い子をあごで指して言ってました。


隣で笑ってた私がはずかしい。。。

鼻がイチゴだなんて!!

ブツブツいっぱい溜めてたなんて!!


お店では、お客様にフェイシャルケアしてる、この私が!

・・・最近コンタクトの調子悪かったかなあ。。。

・・・今日頑張って掃除したから。。。

・・・代謝がいい証拠やん!!       (以上言い訳でした)


絶対、今日つるつる卵肌に戻してやる!

酵素風呂入って、、血行良くして、、毛穴開かせて、、角質取って、、スーパー酵素パック してやる!!

見てろよ、イチゴマン!!イチゴ撃退!



予定日まであと145日





雪山の生活(22歳の私)

長野県飯山市

戸狩温泉スキー場


長野オリンピック開催の年。

私は一人、大きなバックをかつぎ、板を引きずりながらこの地にたどり着いた。

当時金沢に住んでいた私は、「るるぶ信州」を片町の書店で購入し、

次の日にはそこに記載されていた小さな宿に電話をかけていた。


宿の規模は、小さければ小さいほど良かった。

いかにも老夫婦が運営されてるっぽい宿を選んだ。


「あの。。。急で申し訳ないのですが、居候させていただけませんか?」

「えっ?!」


・・・唐突過ぎた。

今から考えると若かったよなあ。。。ずうずうしいにも程がある!!


少し、地方なまりが聞き取りにくかったが、何分か商談の結果OKが出た。

食事、寝床、往復の交通費、シーズン中フリーパスリフト券付きと引き換えに、

思った以上の過酷な労働が待っていた。


朝5時 氷点下の部屋で着替えをし、凍った水を溶かして顔を洗う。

玄関の引き戸を無理やり開けると、軒にたまった雪の固まりが落ちてくる。

雪かきは初めてだったが、作業は身体で覚えるもの。すぐに要領を覚えた。


お客様の朝食作り。片付け。朝食。

お部屋の掃除。

10時のおやつ。

自由時間

お客様の夕食作り。片付け。夕食。

風呂。風呂掃除。

就寝(21時)


このパターンが毎日つづく。


私の大好きな時間、  お昼ごはん。

シングルリフトでしか登れない雪山のてっぺんで食べるおにぎり(野沢菜入り)。

下界と広い空を全部独り占めしてるような、得意げな気分になる。

真っ白なゲレンデと澄み切った空気。。

雪原

最高ですよ!!


下界のストレスなんか吹っ飛びますよ。

後からわかったことですが、

宿のじいちゃんとばあちゃんは、私が女一人で雪山に来たもんだから

自殺するんじゃないかって毎日心配で仕方なかったそうです(笑)

確かに、私変わった子みたいですね。


リュックに入れたおにぎりがつぶれない位(一度も転ばない)スキーが上達し、

モーグル山で知り合った他の宿の居候仲間も出来、

リフトのおっちゃんもお茶のみ友達になり、

パトロールの救助を手伝えるようになった半年後、、


私は雪山を降りた。

じいちゃんとばあちゃんとは「うるるん滞在記」みたいな別れをし、

真っ黒に雪焼けした半年間の雪山生活は

私の「今の自分」を形成している。